2020朗読作品一覧
2020年の会で選ばれ、紺野美沙子さんにより朗読された手紙です。
3月11日(水)「311祈りの日」「祈りの手紙朗読」にて、本堂仏前にて朗読される予定だった手紙の応募作品です。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、朗読は首都圏にて収録され、紺野美沙子さんが朗読する動画はYouTubeに公開されています。
撰者:和合亮一。当日の作品朗読:紺野美沙子
<手紙について>
・当日の朗読順、応募作すべてを掲載しています。
・希望されない方の作品は掲載しておりません
・著作権は実行委員会に帰属します。無断転載を禁じます
・人名、地名、誤字や誤用については、作者の意図や投稿時の思いを重視し原文のまま掲載しています
<紺野美沙子さん朗読作品>
1.星千代子(81歳・女・神奈川県足柄下郡)「母の故郷 ー岩間ー」
2.あべわかこ(54歳・女・福島県福島市)「グラジオラス」
3.星勝昭(61歳・男・福島県郡山市)「夢の中の夢の中の夢…だったらいいのに」
4.早川惠子(72歳・女・福島県福島市)「娘へ」
5.佐藤公子(63歳・女・福島県福島市)「だっこ」
6.happycat(60歳・女・千葉県白井市)「お父さんへ届け」
7.堀田照子(65歳・女・茨城県那珂市)「修ちゃんへ」
8.高瀬等子(女・福島県いわき市)「ふるさと」
9.安西弘志(52歳・男・茨城県那珂市)「今私達が出来ること」
10.鈴木弘美(61歳・女・茨城県鹿嶋市)「人の嘆きに凪ぐ海よ」
▼海外からの祈り
▼2020年全応募作はこちら
海外からの祈り
海外から寄せられたお手紙です
<協力>
ホノルル福島県人会、命灯会 in Hawaii
バルセロナ日本協会、KOREKARA JAPON
HACO ギャラリー NYC
<訳>
「ホノルル福島県人会、故郷ツアー」
2019年10月、ホノルル福島県人会の一員として初めて「ホノルル福島県人会故郷令和ツアー」に参加し、又この旅行で人生初の日本の秋を味わうことができました。いとこのフランシス・イマムラが今回の旅行のルームメイトでした。この旅行での1番の思い出は福島市飯坂に住むいとこ達に会ったことと彼らのリンゴと桃の果樹園を訪れたことでした。私の祖父母、叔父、そして今では従兄弟が後を継ぎ4世代代以上続いている果樹園の中を歩きながら私は家族との繋がりを強く感じることができたのです。そして果樹園訪問の後には、この農場を継ぐため飯坂に移り住んだハワイ生まれの叔父と祖父母のお墓参りをしてレイを手向けました。
母が父と結婚する前に、祖父母は福島に引っ越して行ったので私は祖父母を知りませんでしたが、私の祖父母やその両親が農業をしていた果樹園を訪れ福島県との繋がりが強く感じられたこの旅行で「故郷に帰る」という感覚を理解することができたのです。福島を訪れたことで、母が私に話してくれた福島の親戚についてのたくさんの話が思い出されました。
母と夫と初めて福島を訪れた2002年の春から2019年秋の訪問までの間、2011年の地震、津波、原子力災害、2019年の台風と福島県では多くの悲惨な出来事が発生しましたが、それに直面してきた福島県民の精神力の強さには驚かされています。震災後の福島県が復興のため努力を続けていることに感銘を受け、この地域に住む人々と家族として繋がっていることを誇りに思っております。
ドナ・オジリ
ホノルル福島県人会 会員
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<訳>
「福島の真実」
原発事故後、世界の注目の的となった福島には世界中の支援活動が集まってきましたが、残念なことに同時に「フクシマ」が忌まわしい地名にもなってしまいました。2011年3月の事故発生当時、私は在日米国政府勤務で日本に在住していたにも関わらず災害復旧に協力することができませんでした。
インターネットの記事やビデオで、福島は最悪の状態で放射線により危険な場所であると思っていた私は2018年に福島を訪問した際、故郷のホノルルと同じくらい福島の市町村が普通に見えたことに驚きを感じ、混乱してしまいました。放射線量の高い地域ではイノシシが街をうろつき、原発のロボットが放射線にまみれ機能しなくなり、福島は暗くて危険な場所だと思っていた私の考えは完全に違っていたのです。
熊本出身の先祖を持ち、ホノルルに住んでいる私なら客観的に福島を見ることができるだろうと、福島の人に真の福島の現実を世界に伝えてほしいと私は頼まれました。誰にも知られていなかったこの8年間の福島県と県民の復興や成果について誰かが伝えなければなりませんでした。ここ数年の間に福島の現場を伝えるニュースが明るい話題へと変わりつつありますが、まだまだ世界の人々はその事実を知りません。世界中に福島の現状を発信するため1年前に福島市に移住し、真実の福島について記事を書き、それを多くの人々に伝える活動を開始した私はこの活動の継続が私の使命であると信じています。
スティーブ・テラダ
ホノルル福島県人会 会員
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<訳>
「アヤネさんへ」
あなたは美しい人です。神の子であることを覚えているから。あなたの人生は喜びと天国のコンコースで天使が奏でる栄光の音楽の美しさで満ちています。
ウィリアム・ワーズワースは書きました。
「生まれてくるとは眠ること そして忘れてくることだ
吾らとともに明けそめて 生をみちびく魂は
此処ならぬ 彼方できざし
来たるもの
すべてを忘れ果てはせず
なにもまとわぬことはなく
輝きの 雲のもすそをたなびかせ 吾らの来たる
みなもとは 神のみもとのほかにない」
アヤネ、いつも覚えていて。あなたがどこからきたのか。そしてこの地球での人生の後、どこへ帰りたいか。あなたが試練を乗り越えて良い行いをすることを神は祝福してくださるでしょう。「輝きの雲」を追い続けてください。がんばって。
ジョイ・ハナブサ
ホノルル福島県人会 会員
(和訳:沼崎なな香)
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<訳>
「私たちのご先祖様へ」
新年号の令和を意味する「調和」と「平和」の二つの言葉を心に留めながら新しい時代となる令和の幕開けの2020年に対し心からのお祝いを申し上げます。
今年で設立 97周年を迎えるホノルル福島県人会は日本では大正時代( 1912-1926)だった1923年に発足しました。その後昭和(1926-1989)、平成(1989年1月8日 -2019年4月30日)と続き、2019年5月1日、天皇徳仁と皇后雅子様の即位をもって、「令和」 の新時代がスタート致しました。
ホノルル福島県人会も新たな時代を迎え、昨年10月には「2019年ホノルル福島県人会 (HFKK)ふるさとツアー 『平成』から『令和』へ・ふくしまを秋に再発見しようの旅」と名付けられ31名の会員が福島県を訪問する第8回「故郷ツアー」が行われました。第1回「故郷ツアー」は福島県成立100周年を記念し1976年に行われ、その後1984年、1986年、そして1993年には福島空港開港記念故郷ツアーが、2003年、2014年、2017年には福島市政110周年記念故郷ツアーが行われました。
ホノルル福島県人会は私たちの偉大な先祖に敬意を表すと共に、現在では175人以上の会員と共に日本の文化や伝統を大切にしながら活動を続けております。県人会の使命は会員の協力のもと、ハワイでのさまざまな地域活動への貢献、及び福島県からハワイを訪れる個人、団体の皆様を支援、歓迎することです。また、私たち会員は福島県内に在住する新類縁者の方々と密に関係を築きながら、福島県民の子孫であることを誇りに思っております。
ハワイに住む私たちはオハナ(家族)としての福島県を今後も可能な限り支援し続けることをお約束いたします。
「おかげさまで」
セイディ・ワタナベ
ホノルル福島県人会 会長
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<訳>
すべてのみなさまへ
あなたがこの手紙を読んだとき、喜びを感じてほしいと思います。
あなたがいま楽しく過ごしているか、幸福であるかはわかりませんが、静かに自然を眺めてみてください。
憂いが永遠に続くことはありません、いまこのとき、私はあなたと一緒に呼吸し、共にいることを感じています。常に、誰かが心のなかで、気にかけ続けています。
いま、目の前にある幸せや、心のなかに思うことを大事にしてください。嬉しいときも悲しいときもあるかもしれませんが、おそれを感じないで。
手紙を読んでくれてありがとうございます。
あなたが今日も楽しく過ごされることを祈ります。
ヘレンより
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<訳>
「東北に住むみなさんへ」
9年前、私が 17歳の時、学校に行く前の早朝に電話がかかってきました。テレビをつけてと言われるままに見てみると、何が起きているのかを知りました。その光景はあまりにも衝撃的で、自分が無力であることを思い知らされました。
今もあの時の様子が脳裏に焼き付いています。
私はヨーロッパで暮らすことになり日本を離れて 20年になりますが、日本人のコミュニティに所属することへの思いは震災以降、以前よりも遥かに強くなりました。
私は 3年前に東北を訪ねました。そこで私が出会った人たちの震災についてのエピソードは驚くべきものばかりでした。
皆さまの幸せをお祈りします。そして、世界に対して、あなたたちがいかに強いかを示してくれてありがとうございます。
オランダより愛を込めて
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2020全応募作品
2020年の会でご応募いただいた全作品です。
手書きのものはそのまま掲載し、テキスト送信のものは実行委員会にて編集しました