2017朗読作品一覧

2017年の会で選ばれ、仏前にて朗読された手紙です。

1.奥田ゆり子(60歳・女・世田谷区)「逝きし人々へ」
 

ユリノキの並木道を、自転車で駅へ急いでいました。
突然地面が大きく揺れて転倒しそうになりました。自転車を片寄せて思わず傍らのユリノキにしがみつきました。太い幹に、かすかなぬくもりがありました。
帰宅してテレビをつけると、画面右の、高速で移動する一台の車に、画面手前を埋め尽くした黒い津波がみるみる近づいていきました。
3.11の大震災で多くの生命が一瞬にして失われました。
私はあの晩ただひたすら祈りました。祈りながら昼間の、ユリノキの大樹のぬくもりを想いました。
3.11東日本大震災の真実を風化させないために、今、この地上に生かされている私は、今日という日を精一杯生きてゆきましょう。
突然命を奪われた多くの無念の魂に寄り添い続けていくために。


2.油井憲一(80歳・男・福島市)「右腕のりんごの木よ」
 
 
りんごの木よ。6年前に原発事故に遭った時は、放射能の知識がゼロだったからマスクも手袋もしないでりんご畑にいました。りんごの木を守るすべも知らなくてごめん―。

所が出荷期になって市場からは断られ買い叩かれて、原発事故の恐ろしさに愕然としました。冬になるとチェーンソーでのりんごの木の打ち首が流行って、りんご畑は墓標が並んでいる様でした。戦後70年りんごで食ってきた園主が、りんごの木を打ち首にすることは自分の右腕を切断することです。

 りんごの木よ。わが家では今でも売上金の三分の一は賠償金なのです。早く賠償金に頼らないりんご作りをしたいのです。

 考えてみるとスリーマイル島もチェルノブイリもフクシマも、原発事故は皆人災です。人災だからこそこの過ちは繰り返してはなりません。

30年はかかるであろう廃炉を、右腕のりんごの木としかと見届けるまでは―。


3.佐藤睦子(73歳・女・福島市)「愛犬チロへ」
 
 
“チロ”今までありがとうね。パパが亡くなってからは、いつも側にいてくれたね。6年前の3月11日、外出先で大きな揺れを感じ、とっさに近くのポールに掴まって体を支え、目の前の信号は止まりちぎれる程の電線の揺れを目のあたりにし、留守番をしているチロを案じ、ただ儘ならぬ状況の中に物の崩れる音の恐怖を感じつつ戻り、玄関の鍵穴に鍵の入らぬもどかしさが、ドアを開けた時の安堵、脅えているチロを抱き余震を恐れて外へ、あの時は冷たい風と雪がちらついていたね。でも抱いているチロの温もりと鼓動にひとりでないと感じさせてくれたね。しかし昨年の3月あの時と同じようにママの腕の中で静かに逝ってしまいましたね。でもいつも側にいるような気がしているよ。チロちゃんありがとうね。
独り暮らしのママを癒し支えてくれて本当にありがとう。大丈夫だから心配しないでね。
「チロが逝く 風やわらかき 春の日に」睦子


4.清野三枝子(83歳・女・福島市)「信夫山の柚子農家の皆様へ」
 
 
十数年来、私達俳句会の十一月の吟行は、たわわに実った柚子が美しい信夫山と決まっております。皆様にはいつも何かとお世話になってきました。「柚子一つひとつに青き空ありね」は初めて訪ねた折りの拙句です。「青き空」により輝かしい稔りの喜びを表現しました。又、採りたての柚子を沢山譲って頂いた事など、懐かしく思ひ出します。
 
現在も当時と同じく太陽をいっぱいに浴びた鈴生りの柚子山は圧巻です。でも現在は豊作であればある程悲しいですね。線量値が高く市場に出荷する事も食べることも出来ないとのことー。昨年訪ねた農家のご夫婦が柚子の収穫をされておりましたが「線量を計るための少量だけ、」と目を伏せたまま応えられたのを忘れる事ができません。
「柚子採りの鋏の音の空しかり」
 
信夫山の柚子はでこぼこして香りが高いのが特徴で人気があります。あれから6年目の今年こそ、線量の憂いなく収穫できますよう切にお祈りしております。皆様どうぞ、お体をお大事に。


5.アンディ(39歳・男・福島市)「娘へ」
 
 
2013年生まれ、震災前の福島を知らない娘へ
鹿島神社のモミジの下、お宮参り
大雪の冬の中、暖かいマミーの胸
小峰城の崩れた内部の前、花見
真夏の夕涼み会、花火
 
福島の四季を知っている娘へ
花見山の菜の花、笑顔
夏の茂庭の摺上川、水遊び
秋の民家園、どんぐり
冬の実家の前で、雪だるま
 
将来が拡がっている娘へ
私の子   福島の子   世界の子
私の娘   私の福島   私の世界
愛しているよ
 
ダディより


6.鈴木綾乃(25歳・女・気仙沼市)「故郷の海」
 
 
大好きな故郷があの日、家も船もすべて津波に飲み込まれてしまった。
 
思い出のたくさん詰まった故郷。
 
家族で散歩した浜辺や市場、たくさんの船が並ぶ漁港、毎日の食卓に並ぶおいしい魚たち。
1日たりとも忘れたことはありません。
 
毎年楽しみにしていた出初式。大漁旗を掲げたたくさんの船がとってもかっこよくて、いつか地元の海で漁師になるのが小さい頃からの夢でした。
私は漁師町で育ち、漁師の家に生まれたことを誇りにおもっています。
 
いつか大好きな故郷の海で父と一緒に漁にでれることを願い、いまは帰れない故郷を思いながら、福島を離れ気仙沼の海で修行の毎日です。
 
いつか必ず漁師になって請戸の海に帰ってくるからね。


7.渡辺浩子(55歳・女・福島市)「はじまりの夏」(相手:水野さん、千葉県勝浦市)
 
 
水野さん あの夏を思い出しています。
 
震災の翌年、「夏休みに子供たちを勝浦に招待したい」とのお話をいただきましたね。盲学校教諭の友人が「うちの生徒は支援プロジェクトの対象から外れてしまうんだよね」と言っていたことがずっと心に引っかかっていた私は「ハンディキャップを持ってる子どもじゃダメですか?」と思いを水野さんにぶつけましたね。
 
ダメもとで待っていたところ、「OK、家族みんなでいらっしゃい!」との返事が。その後の私の記憶は勝浦の青い海です。全盲の少年が水泳部の大学生と初めて海に入りました。歓迎のライヴでは皆身体を揺らしてノリノリでした。生きててよかったと誰かのお母さんが言いました。盲学校の子たちが新たな世界へ踏み出す勇気と愉しさを体で覚えたのは、水野のおじちゃん(子ども達はそう呼んでましたね)が招いてくれた勝浦での夏です。皆あれから少しずつ外へ出ていくチャレンジを始めたんですよ。
 
そして、今日は伝えたいことがあります。なんと盲学校の子が、この夏1年間の海外留学に出発するんです。(拍手~)
 
水野のおじちゃんも勝浦から応援してくださいね。本当にあの夏をありがとう。


8.佐藤凛(12歳・女・福島市)「津波で亡くなった方々へ」
 
この東日本大震災で、多くの人の命が奪われました。家族のだれかを亡くしてしまった人もいます。津波では、下校途中の子供や、電車に乗っていたサラリーマンなどが次々に流されました。家族の人は悲しくて、死を受け止められないかもしれません。
 
今、海はとってもきれいです。何かがずれてしまうと危険がいっぱいで、海が町に流れ込んだら、車は流れお家やお店はぐちゃぐちゃです。津波のせいで、今もたくさんの人が、家族や友達、ペットなどを探しています。
 
私の町は、津波はなく、放射線の被害が出ました。マスクをしている人がたくさんいました。また、このようなことが起きたときのために、準備は必ずしておきたいです。


9.森松瑠衣(12歳・男・福島市)「亡くなった方へ」
 
 
東日本大震災から6年間があっという間に過ぎました。あの日がつい昨日のようです。ぼくはなくなった人の気持ちを考えると胸が痛みます。
 
震災が起きたのは、僕が保育園の時でした。僕の胸は、小学校に入学するわくわくの気持ちでいっぱいでした。でも、一瞬で不安に変わりました。
 
家に帰ってテレビで、宮城県に津波が押し寄せてくるニュースを見ました。ぼくは「宮城県は大丈夫なのかな。津波に流されていないかな。」という思いでした。しかし宮城県の海岸沿いはぐちゃぐちゃで、何もかもなくなっていました。あの震災で、僕たちは、亡くなった人から、生命のバトンをもらいました。
 
あの震災から何を学んだかというと、震災に対する教訓、人と人との助け合い、ぼくはそういう心をもって今、今日を過ごしています。


10.高梨梨菜(12歳・女・福島市)「みなさんへ」

 
震災から6年がたちましたが、まだ行方不明になっている人々がたくさんいます。その人々と会話した事はないけれど、一人一人の気持ちがよく伝わってきます。
 
私は、あの時、年長でした。床が、ガタガタと動き、何が起きたのか分かりませんでした。
 
助けてくれたのは、先生でした。大きな声で、「外に出て」と言われて、私は外に逃げました。泣いている子もいました。そのくらいの、怖さだったので、泣いて当然だなと思いました。私は、みなさんに「あのガタガタゆれた時どんな気持ちでしたか」
 
私はあの時、怖くてふるえていました。でも、私よりも、もっともっと怖かった人がたくさんいると思います。あの日、行方不明になっている人もいます。私は、その行方不明の人々を探してほしいです。その人々を見つかるのを心から願っています。あの時の行方不明を一人でも、多く救ってください。
 
あの日を忘れる事はできないけど、自信を持って進んでください。


11.今野叶望(12歳・男・福島市)「震災で家族が亡くなった方へ」
 
 
皆さんは、三月十一日二時四十六分のことは覚えているとおもいます。
あの日皆さんは、何事もなく暮らしていたと思います。でも二時四十六分、あの時がきた。
それは、一瞬で自分たちの全部を東日本大震災が奪った。
 
そのせいでたくさんの思い出のつまった家、家族、そして命、何にも変えることのできないかけがえのないものまでも奪い去った。
 
人々は、恐ろしい津波がせまってくるのがまだ知らない。津波と地震が人の感情と心も変えてしまった。争いも起こっただろう、でも津波はせまってくる。ついに陸に上がりこんだ津波は、家族、命、家、宝物までも消し去るように、津波は奪った。
 
僕は、ニュースに目が入った。それは東日本大震災でいじめ、差別が起こった。僕は、ゆるせなかった。東日本大震災の被害にあった人の気持ちについて考えてみろと思った。でもぼくは、みんなの心が一つになり、みんなでのりこえたいと思います。
 
皆さんも3月11日にいのりませんか。


12.佐々木瑠奈(12歳・女・福島市)「今でも苦しんでいる方へ」
 
 
3月11日。今でもはっきりと蘇る。あの揺れ、警報音。
今でも感じる。失ったもの、戻ってはこないものの大きさや大切さ。壊れかけの建物、原型をとどめていない町の姿。私は、きっと忘れない。
 
自分の命を捨て、他の誰かを守った方。その気持ちや心に救われた方もたくさんいて、その方の行動で被害者も犠牲者も減りました。
 
この出来事で失ったものはきっと多かったけれど、壁を乗り越えるために協力し、支え合ったことで得たものもきっとあったと、私は思います。
 
震災から6年経った今でも、たくさんの方が励ましてくれ、力を貸してくれています。一人では無理でも、協力すれば大丈夫。私は、東日本大震災で協力することの大切さを学びました。
 
最後に。私は、辛いときや悲しいとき、一人ではないと思えたら。
今はいない誰かの為、その人の分まで生きていようと思えたら。
 
描いていた未来とは程遠く、辛いことがあったとしても、あなたが心から笑える日が来ることを祈っています。


▲「祈りの手紙」2018年の全作品を掲載しています
 
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